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2011年3月31日 (木)

搬入しました

予定通りに田野畑、明戸地区にグラップルとクローラーダンプを搬入しました。

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ここは黒松の美しい松林でしたが見る影もありません。

あえて画像を載せたのは、現地を案内してくれた森林組合の方が(家を流されています)写真を撮って下さい、しっかりと見てくださいそして発信してください、と言われたときには一瞬驚きましたが、彼のその思いが私の深いところに刺さったからです。

2人だけを乗せたくるまで田野畑の被災地全てを回ってくれました。

とにかく全てを見せたい、そして自分の家が有った場所につきました。ここはかなりの高い場所なのですが家は跡形もなく数メートル下にあったワゴン車がそこにありました。

彼はこれからの不安を話し始めました。

住まいのこと、高校生の子供のこなど話してくれました。

私はただ聞くだけです。

それしかできません。

今日、青い葉っぱ食ってるか?と聞いたら

そう言えば食ってないなといっていたので明日は釜津田の野菜をどっさりと持って行ってやります。

明日からの撤去作業うまくいくと良いな~。

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コメント

西間さん、厳しい復旧作業に連日携われておられるご様子、ほんとうに頭が下がります。
田野畑村は私が初めて岩手を訪ねた、忘れられない地でした。40年前のことです。
東京から列車で八戸、そこから久慈に行き、漁船に揺られて陸の孤島だった田野畑村に到着するという一日がかりの行程でした。
炎天下の草刈り、植林等、村の人々の温かな人情の機微に触れつつも10日余りを汗を流しながら過ごした日々は私のその後の原点になっています。

2年前、その当時植えた松が見事に育った光景を眺めることが出来て感動したばかりなのに、また40年前に戻ってしまったような光景には驚きました。

もう少し落ち着いたなら、2年前の美しい田野畑村の写真を私のブログに掲載しようと思います。
何故なら、田野畑村の皆さんには辛抱強く地道に、幾度も村を再生された尊い歴史があるからです。
今の私には20歳の頃の体力はありませんが、私なりにお世話になった田野畑村を応援するつもりです。西間さん、田野畑村の写真、ありがとうございました!

投稿: きじとら | 2011年4月 1日 (金) 01時23分

きじとらさん
そうだったんですね、学生の頃田野畑にきたのでしょうか?
今日いっしょに作業をした田野畑森林組合の方が話してましたが(70歳代)よそに出かけるときは「羅賀丸」に乗って宮古に、そこから鉄道を使ったものだと話してました。
きじとらさんの記憶にあるかは分かりませんが、「ホテル羅賀荘」の正面を走る高台の道ですが、津波はその高台を越えさらに山手の家ものみこみました。
家が流されと言うより爆弾でも落ちて破壊された、そんな状態です。

きじとらさん、自分のできる事をやりましょう。

投稿: 与作 | 2011年4月 1日 (金) 18時49分

私が訪ねたのは1971年のことでした。
その10年前に起きた三陸フェーン火災に何か出来ることはないだろうか?と、焼けた山に故小田泰市先生が学生たちと植林を始めて田野畑との交流が始まり、それが今も伝統として続いています。

私が先生とともに訪ねた1971年には合宿施設の青鹿寮も完成しまして先生が名付けた「思惟の森の会」としての活動も活発化して、地元の方々、ことに酪農家の皆さんからは熱烈歓迎を受けました。

それから38年ぶりに訪ねたのが2年前のことです。完成していた立派な思惟大橋を渡り、道の駅では地元のお婆さんから小田先生との思い出話を聞くことができまして胸が震えました。青鹿寮の場所も教えていただき、当時のままに研ぎ澄まされた大きな草刈り釜や鍬が整然と並んでいるのを見て、あの暑かった夏の日を懐かしく思い出しました。

その当時は宮古からの陸路も久慈からの陸路も無かったですから思惟大橋の完成は画期的なことだと思います。
記憶は曖昧になっていますが、私は久慈から船で入ったように思います。
その当時まだ背丈も低かった松が立派になったことに驚きつつ休憩した北山崎の売店で、曖昧になってしまった記憶を確かめましたら、やっぱり久慈からのルートのようでした。
そんな話に感動された売店の女性からは是非に!と美味しい田野畑牛乳をご馳走になって、そのご厚意に胸が詰まったものでした。
長々と書いてしまいましてすみません。人情味溢れる優しい田野畑の人々に恩返しするためにも、僅かですが義捐金を送ることにします。

投稿: きじとら | 2011年4月 1日 (金) 20時35分

きじとらさん

強い思いにないも言えません

ありがとうございます。

でも、又、田野畑に来て下さい。

今日も海は何事もなかったように
綺麗でした。

投稿: 与作 | 2011年4月 1日 (金) 21時03分

無事です!
昨日ようやくネット環境が整いましたと言うより水没しまして借り物のパソコンから書き込んでます。
与作さんより安否の電話を頂いた事が聞こえてきました。
まさか末広町まで津波の被害が出るとは誰も思っていなかったのが現実です。
昨年、チェンソーアトデモの場所で浸水1m50㎝位です。
復旧に職種の違いは有ると思いますが
かなりの時間が必要な事は避けられません。

復旧の目処が立ちましたら又、華やかに町内を賑わすお手伝いをお願いします。

頑張ります!

投稿: 中年ライダー | 2011年4月 4日 (月) 20時01分

中年ライダーさん

ご無事で何よりでした。
宮古のあの堤防を津波が越える映像を見たときには絶句しました。

絶対復活しましょう!
強い絆と信念を持って。

私にできることは何でもします。
共に戦って行きます。

投稿: 与作 | 2011年4月 5日 (火) 20時54分

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